依存物質と自由 1
JUGEMテーマ:自己啓発・自分磨き・スピリチュアル
身近で強力な「3大依存」、それは「煙草」「酒」「砂糖」だという説をどこかで読みました。
私はどれも摂取していませんが、別に自慢するつもりもありません。
気づいたらどれもやめてしまっていました(糖質は少しは取ると思いますが)。
麻薬などの依存と違って、上記の3つはどれも悪いと言えない、言いにくいものだと思います。
たしかにタバコに関しては社会悪とされていますが、実際はニコチンにも良い作用があります。
また、4大依存とすれば、「ギャンブル」も入るでしょう。
これも、ストレス解消になるとも言えますので、なかなか批判しづらいところがあります。
こうなるとやはり、これらを規制するべきではなく、市場原理次第、自然に任せるしかないのでしょう。
無理な押し付けをすれば反発があって当然でしょう。
ただ、これらをやめたり、自分で量をコントロールできるようにすることは、個人レベルでは大きなメリットがあります。
なぜなら精神的な自由度が広がるからです。
でも、以前の私にはそのことが理解できなかったのです。
かつて喫煙者だったころ、私には「煙草を禁止する自由」というものが理解できませんでした。
どう考えても、「吸える」ことが自由であって、禁止は不自由だと思っていました。
何かを出来なくすることが自由であるはずがなかろうと。
それに、煙草なんてやめたい時はいつでもやめられると思っていました。
しかし実際にやめてみると、3日ほどの間ひどい頭痛に悩まされ、さらに1ヶ月近く苛立ち、不眠、体の硬さなどを感じて、非常に辛かったのです。
それによって、自分がいかにコントロールされていたかを知り、吸いたいからこそ逆に吸いたくないと感じ、今に至っています。
つまり、自由どころか、束縛されていたのだと気づいたのです。
ところで、テレビのグルメ番組では毎日のようにスイーツや酒を勧めていますね。
旅番組や街歩き番組でもそうです。
そして社会的にも飲み会などがあります。
街に一歩出れば、そこらじゅうに誘惑が待っています。
一見するととても自由に見えますが、これも「自由」を履き違えてしまっているのだと思います。
企業側が、個人を束縛してコントロールしようとしていると見て良いでしょう。
しかし、長年の刷り込みが邪魔をして、そのようには見えなくなってしまっています。
続く・・。