依存物質と自由 1

2017.09.07 Thursday 23:03
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    JUGEMテーマ:自己啓発・自分磨き・スピリチュアル

     

    身近で強力な「3大依存」、それは「煙草」「酒」「砂糖」だという説をどこかで読みました。


    私はどれも摂取していませんが、別に自慢するつもりもありません。

    気づいたらどれもやめてしまっていました(糖質は少しは取ると思いますが)。

     

    麻薬などの依存と違って、上記の3つはどれも悪いと言えない、言いにくいものだと思います。
    たしかにタバコに関しては社会悪とされていますが、実際はニコチンにも良い作用があります。


    また、4大依存とすれば、「ギャンブル」も入るでしょう。
    これも、ストレス解消になるとも言えますので、なかなか批判しづらいところがあります。


    こうなるとやはり、これらを規制するべきではなく、市場原理次第、自然に任せるしかないのでしょう。
    無理な押し付けをすれば反発があって当然でしょう。


    ただ、これらをやめたり、自分で量をコントロールできるようにすることは、個人レベルでは大きなメリットがあります。
    なぜなら精神的な自由度が広がるからです。

     

    でも、以前の私にはそのことが理解できなかったのです。

     

    かつて喫煙者だったころ、私には「煙草を禁止する自由」というものが理解できませんでした。

    どう考えても、「吸える」ことが自由であって、禁止は不自由だと思っていました。

    何かを出来なくすることが自由であるはずがなかろうと。

     

    それに、煙草なんてやめたい時はいつでもやめられると思っていました。

    しかし実際にやめてみると、3日ほどの間ひどい頭痛に悩まされ、さらに1ヶ月近く苛立ち、不眠、体の硬さなどを感じて、非常に辛かったのです。

     

    それによって、自分がいかにコントロールされていたかを知り、吸いたいからこそ逆に吸いたくないと感じ、今に至っています。

     

    つまり、自由どころか、束縛されていたのだと気づいたのです。


    ところで、テレビのグルメ番組では毎日のようにスイーツや酒を勧めていますね。

    旅番組や街歩き番組でもそうです。

    そして社会的にも飲み会などがあります。

    街に一歩出れば、そこらじゅうに誘惑が待っています。

     

    一見するととても自由に見えますが、これも「自由」を履き違えてしまっているのだと思います。

    企業側が、個人を束縛してコントロールしようとしていると見て良いでしょう。

    しかし、長年の刷り込みが邪魔をして、そのようには見えなくなってしまっています。

     

    続く・・。

    category:コラム | by:開運の達人comments(0) | -

    青い目と茶色い目の実験

    2017.08.21 Monday 23:09
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      かつてアメリカの小学校で、ある実験が行われた。
      青い目の生徒と茶色い目の生徒に分け、「青い目の人は優ているが、茶色い目の人は劣っている」と架空のルールを決めて過ごさせたのだ。

       

      するとすぐに子どもたちの間で差別意識が露わになったという。仲の良かった子供も喧嘩を始め、終わったあとには「むごい」実験だとも批判されたという。

       

      劣っているとされた子供たちは卑屈な性格になり、簡単な質問にも答えられなくなった。優れていると言われた方はのびのびとして、テストの点数も上がったという。

       

      このジェーン・エリオットの実験はテレビや本にもなって非常に有名だと言う。人種差別の本質について明らかにし、それがいかに馬鹿げているかについて明らかにすることができたといえるかもしれない。


      しかし私が注目したいのは、そこではない。それは、「優れている」と言われていた時に、実際にその生徒たちのテストの点数が上がったということだ。


      人間は、自分を「こういうものだ」と信じたら、多かれ少なかれその通りになるのだ。
      これは今まで多くの自己啓発書や宗教書にかかれてきたことと同じだが、上記の実験によって裏付けができたといえる。

      小学生とは言え、客観的な形でそれがわかるのは貴重であり、それ自体が、私達のこれからの願望実現に有益だといえる。


      もちろん、ここでは教師による裏付けがあったから、さらに効果も高かったのだろう。何も裏付けがなく、単なる自分への「優れている」という言い聞かせだけだったら、それほど効き目はないかもしれない。


      だが少なくとも自己認識で自分が変わるのならば、いま現在の自分はどちらだろうか?

      それを自問する意味はあるだろう。

      はたして、「優れている」と思っているのか「劣っている」と思っているのか。

       

       

      category:成功術 | by:開運の達人 | - | -

      五穀断ちに意味はあるのか2

      2017.08.18 Friday 23:29
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        五穀断ちの五穀が何かは諸説あるらしいですが、米・麦・アワ・ヒエ・大豆などのことを指すようです。私もこれらは今は全く食べません(大豆加工品を除いて)ので一応は同じです。

         

        ただ、私の場合、とくに修行の成果のようなもの、たとえば何かの徳が備わったり霊験が現れるというような期待はしていませんし、実際そんなものは無いといえます。
        おそらくですが、霊験があったという人は、もともとがかなり欲深いとか、悪の道に行っていたような人なのかもしれません。
        そうでない限りは、大きな変化は起きないのではないでしょうか。

        ただ、大なり小なり、欲が減ったり、怒りが減ったりすることはあるらしいです。


        ちなみに私は糖尿病の治療をしているわけではありません。個人の意志でやっているだけです。そのため、どこかの流派の正統な修行法に則ってるわけでもありません。そのせいであまり効果がないのかもしれません。


        そもそも前提条件として、苦行すれば徳が得られるというのがおかしいと思っています。
        まるで何かのテストに合格するように霊的にステージアップできると考えていたら、それはおかしな話です。そういうものは非常に自分勝手で、人に優劣をつけるような思想になりかねないと思うのです。ですから、五穀断ちは霊的というよりは、心と体の健康法だ、くらいに捉えたら良いかもしれません。


        ただ、これをはじめて以来、グルメの類には全く興味がなくなりました。

        「あれが食べたいこれが食べたい」という気持ち自体がなくなって、自由になれたような気もします。

         

        たまにTVをつけて、グルメ番組をやっているのを見ると「まだこんなことやっているのか」と呆れることもあります。「あんなものに心を奪われているなんて、なんか窮屈そうだなぁ」とさえ思います。もちろん、これも自分勝手な思想かもしれませんね。

         

        ただ、自分では客観性が身についたような、観点の幅が広がったような気もします。

         

        JUGEMテーマ:宗教

         

         

        category:開運術 | by:開運の達人 | - | -

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